ダイビング ショップの「裏ワザ」って?
ジェントルマンが政治から余暇にいたるひろい社会領域を非暴力的なゲームにする歴史的な段階にさしかかっていたことであり、こうした社会的な環境のなかで、はじめて書かれた規則にもとづいたゲームとしてのスポーツが作りだせたからであった。
人間は長い期間にわたった変化のなかで、感情や行動のあたらしい標準をつくりだしてきた。
それは西欧では中世からゆっくりと進み、十六世紀からあとの支配階級のなかでドラスティックな現れ方をした。
ノルベルト・エリアスは、こうした長期間の変動を「文明化の過程」(シヴィライジング・プロセス)と呼んだ。
人びとは生活のなかにこれまでとちがった快、不快の基準をみいだし、あたらしい礼儀作法と見倣される流儀にかなった振る舞い方を身につけた。
イギリスではピューリタン革命が去ってかなり経ってから、次第に支配層のあいだに暴力抜きで権力が交代する政治形態が生まれ、ヨーロッパ大陸では中世以来の騎士(武人)が専制君主の下で廷臣化するというかたちをとった。
いずれの場合もユリアス風に言うと文明化の過程である。
文明化の過程とは事件の歴史というより、十八世紀には完全に姿をあらわした日常的な心性や作法の歴史であり、食事や就寝のマナー、感情や行動の変化から国家形成にいたるまでの過程を大まかに捉えるために案出された「歴史モデル」であった。
たしかに世界を生きる人間の感情や行動には変化が起こっていた。
それらの社会的活動のなかで、スポーツが心性の変化を示すモデルのように見えた。
エリアスは、古くからあった野蛮なフットボールと十九世紀のイギリスにおけるサッカーとラグビーの創設を比較したり、危険な競技としてのボクシングの、危険度を和らげる変化を考察したりしているうちに、人びとが血なまぐさい暴力にたいしてひときわ敏感に反応するようになっていることに気づいたのである。
スポーツが実益をもたらさない遊戯的な行為であったがゆえに、それは時代の表象のように見えたのである。
エリアスはスポーツを「非暴力の競争」という、それまで暴力を免れないできた歴史的社会の一段階における暴力離脱のモデルとみなしたのであろう。
人間は政治から日常生活にいたるまで、一貫性のある心性をもつものである。
暴力についての彼の思想も、たんなる肉体同士の闘争に生じる暴力だけを念頭においていたのではない。
いうまでもなく人間の歴史は決してあらかじめ計画された予定に従って進行するのではない。
歴史には決定論はない。
歴史の現在を生きつつある人間は、未知の領域にたいする意味の表象をなんらかのかたちでつくりだそうとしている。
それは思想としては、しばしばユートピア論になる。
芸術表現もこうした未知の領域の把握に他ならなかった。
それらと「モデル」という言葉の意味するものは違っている。
モデルとは実現不能なユートピア論ではないが、こうした歴史の現在に期待できる実践の形式を図式(したがってイデオロギー)として表象するものである。
エリアスは単に特権階級における余暇の利用をスポーツの歴史として解明することだけに関心があったのではなかった。
彼の考察の中心には人間の構成する社会状態があった。
彼は暴力的な争いの横行する野蛮の支配のもとでは、相手を傷つけ、ときには死にいたらしめる公然たる暴力的な闘争がありうるが、それはスポーツではない、と考えていた。
社会がこの暴力を飼い馴らしたときにスポーツが発生する……。
エリアスはスポーツを、歴史に生じてきた非暴力化(文明化)の傾向を直接、身体で表象する実践の形式と見ていたのである。
エリアスは哲学者あるいは社会思想家として暴力の本質を論じてはいない。
だからこの非暴力化もさまざまな哲学者、社会思想家(たとえばジョルジュ・ソレル、あるいはヴァルター・ベンヤミンなど)によって論じられてきた暴力諭に慣れた眼でみると、単純すぎるようにも見えるかもしれない。
しかし彼は歴史家としての立場から、暴力を反復してきた政治社会が非暴力化する過程としての長い期間の歴史に接近しているのである。
エリアスはとくにイギリスの十八世紀の政治的社会を生きる人びとのあいだに、次第に暴力忌避の傾向が進展するのを見出し、この非暴力化する政治的歴史のモデルとしてスポーツを見出していたのである。
しかしエリアスの暴力論の歴史的意義とその限界をもう少し突き止めておかねばならない。
もちろんルネ・ジラールのように人類の始まりからあった暴力の相互性や供蟻の問題に遡ることはここでは不必要な逸脱である。
むしろそれは近代国家における政治的権力関係での暴力の問題に限った方が妥当であろう。
なぜならいずれにしろスポーツが歴史モデルになりうるのはその時期であって、いたずらに遠い過去の供儀に人間の根源的秘密をさぐる必要はないからである。
ベンヤミンの『暴力批判論』が展開する暴力論では、暴力はふたつのカテゴリーで論じられる。
ひとつは法の措定と維持であり、もうひとつはこうした暴力を破壊する暴力である。
この視野のなかでストライキ権、戦争権あるいは革命等々が論じられる。
もちろんベンヤミンは非暴力的な紛争の調停に可能性がないとは思っていないのである。
しかしベンヤミンは議会主義を紛争解決の手段と見なすことに批判的であった。
議会主義が到達するのが「起源にも終末にも暴力をまといつかせた、あの法秩序でしかありえない」と考えていたのである。
これは妥当な見解である。
しかしすぐあとで見るように、ユリアスは歴史的な限定の上で、スポーツの成立と議会主義(バリアメンタリズム)との並行関係に焦点をあて、非暴力的な競争をそこに見たのである。
エリアスは暴力論の次元で、スポーツの起源とイギリスにおける政治権力問の対立解決法の変化を関係づけて論じるのである。
なお直接的にスポーツに残る暴力行為については、エリアスの後継者である社会学者エリック・ダニングの方が、はるかに進んだ考察をしている。
このことは後で観客の暴力行為、フーリガンについて触れるときに再度立ち返ることになろう。
エリアスとダニングの共著の『エクサイトメントへの探究』は、両者の優れた論文を集めて一九八六年に出版されているが、次節で述べるようなエリアスの領域横断的な考察は、その論集のなかの「スポーツと暴力についての試論」よりも、その本全体の序文のなかによりよく示されている。
ユリアスはどうしてイギリスがスポーツという非暴力的な競争を生みだすようになったかを解明するために、スポーツ単独の歴史を取り上げてはいない。
彼はスポーツを社会全体にわたる人間活動において、暴力による緊張が緩和する過程のなかではじめて考えうるという方法をとっている。
彼がスポーツの成立を論じるために、イギリスにおいて議会制度が確立し、安定していく過程を辿るのはそのためである。
対立する政治的な関係において一方が他方を暴力で制圧するなら、他方は必ず報復の機会を狙う。
この種の暴力は支配を基礎づけているものであり、相互的な暴力行使が循環しはじめた社会では暴力的な緊張は容易にはとけない。
たしかに暴力の荒れ狂ったフランス革命を考えてみても、一旦、暴力が動きだすと、それはもう止めようなくエスカレートするのである。
エリアスの議論は次のように展開していくのである。
イギリスの場合、こうした歯止めの効かない暴力の応酬はチャールズ一世が下院に介入し、反対派を逮捕しょうとしたときから始まる。
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